------------- あなたの災厄


――まあ、まあ、まあね。僕だって、そんなそんな、悪い人間じゃありません。多少、猟奇的なことに憧れていただけなのです。富裕層にありがちな手空きを埋めようとしただけなのです。ね、思春期。さいわいにも、僕には質のいい手足があったもんですから、ちょっと、言ってみただけなのです。どこのどいつでもいいから一度囲ってみたいと。ああもう、白状しますけれど、僕の手足がそれを冗談と取らないことくらいわかりきっていたのですよね。勿論そう言った手前、いい子だねと頭を撫でてやりましたが。犬が主人の命令を忠実にこなしたときと同様に、やはり褒めてやるべきだと思ったものですから。
さて、僕の手足が拾ってきたのは、あばらも浮いて見えそうなくらい細身の男でした。真冬であるにも関わらず薄着で、しかも着物の裾から伸びた手足も薄く筋肉がついているだけで、あまり外へ出たことがないような肌の色をしていました。年の頃は僕らと同じくらい、特徴的だと思ったのは、僕らにはない、漆石のように黒く長い髪でした。性別なんかは、ここまできて何がいいとはありませんでしたからどうでもよかったのですが、もしかしたら僕の手足は女と勘違いしたのではないかと思いました。どうしてこいつを選んだのかと僕は訊きました。するとお前の好きそうな顔だったからと僕の手足は答えるのです。「きみ、僕の手足が賢くて、残念に思っているだろうね」と今度は男に声をかけたのですが、彼はなんだかつまらなそうな調子で目を閉じたままいました。もしやと危惧したものの板張りの床に薄く積もった埃が彼の鼻孔の辺りだけ揺れていたので、生きているのだろうことは確かでした。なんだか大人しいけれど何をしたのかと僕は手足に尋ねました。手足は何か考える素振りで首を捻って「んん、特に、何も」とだけ答えました。それにしたってこの男の黙りようといったら、何やら謎めいていて、突然連れてこられた人間の反応でもないし、僕は一種の気味の悪さを覚えました。しかし僕の手足はそんなことをまったく気にも留めていないようで、四肢を封じられたまま転がされた男に跨ってさあどうぞなどと言うのです。それを耳にしても、男はやはり目蓋を押し上げもせず黙したままいるのです。僕はなんだかやりづらいと呟きました。だってそうでしょう、僕が思い描いていたのはなりふり構わず必死に抗う姿です。こんなふうに何もかも受け身でいる様子ではありませんでした。僕は途端に熱が冷め、やっぱりいいやと手足に向かって言いました。きっとこういうのは、逃げるのを追うのがたのしいのです。泣き喚くのを押さえつけるのがたのしいのです。
「そんなら、どうしよう、こいつ。ここで逃がす訳にもいかないし」
「ああ、そうだ、きみが飼ってあげたらどう。きみの手足にしたらどう」
僕は暫し考えた後にこう提案すると、手足はたちまち顔を綻ばせて、それはいい、それはいい、としきりに喜びました。
――でも、これはお前のために拾ってきたもので、オレがもらってもいいの」
「僕がいらないんだから、それは捨てる。捨てたあとで、誰がどうしようが、それは勝手でしょうよ」
事実、僕の手足が手足として男を隷属させるのを見てみたい気持ちが強かったのです。そちらの方が余程愉快に思えました。この、何ものにも支配されない風体でいる男が、どこまで堕ちていくのか、そのさまをひたすら見たいと思えました。さあやってごらん、と今度は僕が告げる番でした。何か新しい玩具でも見つけた幼児のように手足は笑いました。
ふと足元を見やると、薄暗い蔵の中で蠢く影が洋灯に照らし出されていたのが、なんとも言えない心地でした。ひとり、ふたりと、地べたに這いつくばるもうひとり――僕は急に自覚しました。
「これは、いけないあそびだね」
誰にともなく口にしたこの言葉が、しかしはじめて横たわる男の耳に届いたようでした。そして僕を見上げる黒い双眸と自然に視線がかち合いました。
「お前ら、ただの一度も、まともな人間に相手にされたことがないんだろう」
彼は蔑んだ口調をもって言い放ちました。どういうことか問えば、もう言うことはないとばかりに彼は再び眠るように沈黙を選びました。
「ああ、そう、言いたいことだけ言って、自分は、黙る訳だ。気に入らない、気に入らないな。自分の立場、わかってます?」
僕は男の頭を蹴り飛ばしましたし、瞬間恨めしそうな顔をした手足にも何か文句があるのかと張り手を一発喰らわせましたが、どす黒い靄で覆われた心中は一向に晴れてはくれませんでした。それどころか僕の胸のうちはますます危険な思想で埋め尽くされていくばかりで、一瞬だけ自分で自分をおそろしいものと捉えました。
「ほら、しゃべってみてよ。早くしないと、本当は僕だってそんなことしたくないけれど、暖炉の火の中から真っ赤に灼熱した火かき棒を取って、きみの口に突っ込んだりしてしまうかもしれないよ」
僕の舌先はこんなにもおそろしいことを平然と言えてしまうのです。ただ僕ははずみで言ってしまった訳ではありませんでした。本気で男の口の中に高熱を宿した火かき棒を突っ込んでやろうと考えていました。そうすれば男の口腔がどんな惨事に見舞われるかわからなくもなかったのにです。僕はすべてを想像して、その上で、そんな暴言を吐いたのです。詰まるところ、わかりきっていたことではありますがここで愉悦を感じるのは人間として堕落した証拠でした。


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